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Focus on Globalization−地球の視野で考える−を立ち上げてから3年あまりが経過した。ウェブサイトを手がかりに志を同じくする人たちとのネットワークを広げ、交流の場をつくりたいと願った私の当初の思いは、残念ながらまだ十分には果たされていない。大学教育の多忙さにかまけて努力を怠ったことにも原因があるが、この間の体験から学んだこともある。私自身もそうなのだが、ウェブサイトのページを書物を読むようには熟読はできないし、共鳴した箇所に鉛筆で書き込むこともできない。成果や考え方を「情報」として提供はできても、それを媒介にして生まれる響きあいは微々たるものだ。あらためて印刷した活字の意味を問い直す機会にもなったのである。
そのようなことから、印刷物と組合せて成果を普及することを願い、京都グローバリゼーション研究所、Kyoto Institute on Globalization (KIOG) を設立することにした。成果はこれまでと同じように、というよりもこれまで以上にウェブサイトに「情報」として発信されるが、KIOGワーキングペーパー、研究所通信等によって成果の普及に努めるつもりである。たった一枚のプリントでも紙礫(かみつぶて)として役に立つ。それらが集合すれば、世を切り開く力にもなる。そうなることを強く念じたい。
「グローバリゼーション」という表現はすでに古びてしまい、無内容にも見える。しかし、グローバル資本主義の無制約の発展がもたらす過酷な現実の諸相、急速に進む地球環境破壊に直面して私たちはこの時代を直截に表現できる概念をいまだに発見できないで苦闘を続けている。ましてやその全体像の解明となると、絶望的な状況である。多くの人びとが地球の視野に立つ運動の展開を求めているのに、その理論支柱を作り上げようとする意志も論議も微弱である。ただ言葉だけが弄ばれるにすぎない状況がいまだに続いている。
例を一つあげよう。「格差」社会について論議が全面的に、十分に盛んになっている。「格差」とは何か、その解消のためにどのような方策があるのかについての論議が展開されているとはいえないし、ましてやその論議を通じて、グローバル資本主義のもとで貧困と無権利の階層が拡大している現実に肉薄しているとは思われない。研修生という低賃金・無権利の「外国人労働者」雇用の定着、人身売買にも匹敵する暗黒街の雇用・労働実態を底辺にする構造に肉薄する概念といえるのか。ましてや第三世界の人々の絶望的なまでの貧困差の拡大に言及する人は少ない。そこにこそグローバル資本主義がつくり出す収奪の最も重要な源泉があるというのにである。この現状を見るとき、「発展途上」国という表現は空虚である。というよりも虚偽の表現であるとしか言いようがない。その表現に体現される現実の重み、理論の重みを担った態度が必要ではないか。
時代にふさわしい表現の獲得に努めるのは、歴史的転換期に生きるものの責務である。「グローバリゼーション」という一見すると曖昧な表現でもまだ時代を切り取れると、私は考えたい。「資本主義」あるいは「帝国主義」という表現でも、その定義は人によって実に多様であるのに、その構造を具体的に、批判的に解明する多くの学者たちの努力によってこの時代の個性を見事に切り取ってきたではないか。「グローバリゼーション」についても同じことが言えるだろう。この表現に総括される構造の批判的視点からの解明にいくらかでも貢献して、付託された責任に答えたいと思う。
2006年4月
佐々木 建
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