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【土と水、南北問題−2003年3月29日、メコンデルタで考える−】
ベトナムは私にとってどうしても訪れなければならない国でだあった。ベトナム戦争反対運動が私の成長に果たした役割ははかりしれない。具体的にどこにとは指摘はできないのだが、ホーチミンは私にとって歴史的英雄であり、遠い地から解放の戦いに連帯できたことを、いまでも誇りに思っている。その地への旅は私にとっていわば「聖地」への旅ともいうべきものであった。
もう一つ、メコンデルタに立つことは、長年の夢であった。デルタという表現には「豊穣の角」の響きがある。多くのデルタが工業化の奔流に呑み込まれるなかで、いまだに世界有数の穀倉地帯との評価を維持しえているメコンデルタには特にその感を強くする。長年の念願がかなってその場に立てた感動を率直にまとめてみたかったのである。
私が訪れた3月末はちょうど米の収穫が終わった時期だったが、ホーチミン市からデルタの中心都市カントーに向かう車窓からは、こうだいな水牛の群れと次の耕作を準備する風景、縦横に走る運河と道路による米の輸送、にぎわう市場を観察できて、穀倉地帯と呼ぶにふさわしい魅力的な風景の連続であった。メコン河本流の前の河をフェリーで渡り、ほどなく後の河に面したカントーに到着する。河口までかなりの距離を残すこの場所でさえ潮の干満は大きく、河口のような雰囲気がある。観光スポットである水上マーケットの活気にあふれた取引の風景も美しい。
この悠々たる流れと水量、年に一度氾濫して、三毛作という豊穣さをもたらす風景を見ると、私は21世紀における豊かさの意義を考えざるを得ない。イギリスに発した工業的発展を基軸とする資本主義の流れは急速に伝播し、大陸ヨーロッパ、アメリカ、日本を捉え、中国を巻き込んで、地球制覇に近づきつつあるように見える。「発展途上」の国々は、工業化こそが進歩である、工業化によってのみ貧困から脱却できるとするはやりやまいにも似たドグマに感染してしまったようだ。この国もその代表として先頭をきっている。資源浪費型の工業的発展、武器の近代化による殺戮と抑圧の体制が「発展途上」の国々に豊かさをもたらすことはない。そのことがことが日増しに明らかになっているのに、社会主義システムの解体以降見るべき影響力のある対案の提示がないままに、「南」の多く国はこの展望のない流れに加わろうと狂奔する。多くのデルタは工業的文明の生け贄となって破壊された。メコンの風景もこのこの滔々たる流れに呑み込まれて、急速に変貌していくのだろうか。
よく考えてみると、アフリカ大地溝帯に呱々の声を上げた人類が全地球に広がっていく基本的経済史に照らしてみれば、工業的発展を基軸とする経済史は取るに足りない短さである。工業化がもたらす危機はいまや人類の生存維持にかかわる基礎経済の危機によって増幅されはじめている。爆発的に増大する人口、都市に集中する人口を維持するために必要な水や土の量は、また生物資源の量は限界に近づきつつある。
多くの危機論はますます稀少化する原料資源をめぐる対立、廃棄物による地球の受容能力の限界を論じはするが、人間の生存維持にかかわる問題の不均衡の増大を軽視し、地球環境問題は工業的発展に係わる問題だとしてきたように思えてならない。確かに工業的発展(そしてその重要な帰結である戦争)が地球生態系に与えた、また与えつつある影響の規模は地球と人類の破局を予告するのに十分である。
しかし、真の危機はここから始まる。21世紀はその危機の中で人類の基礎的生活体系を根本的に見直す時代になるに違いない。土と水が作り出す豊穣さを維持するために、またそれを再生するために、「北」の先進国は支払わなければならない。歴史の発展軸は確実に「南」に振れる。その振れ方が問題だ。豊穣さの基盤を失って「南」が絶望的に反逆する時代になるのか、それとも「南」の生存維持経済の再構築の時代になるのか。その鍵は「北」の国々が握っている。
ベトナム、そしてメコンデルタはその分岐点にあるように思われてならない。この国の急速な工業的発展がこの地にどのような変貌をもたらすのか、土と水をめぐる地球大的不均衡がこの地にどのような戦略的位置を与えるようになるのか、命ある限り幾たびか訪れて見極めてみたい。(1、3枚目の写真は早田均氏撮影)
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