きたにひと

きたにひと
鉛筆よ永遠なれ -筆記用具(その2)-
萬年筆 -筆記用具(その1)-
雑記帳
雑記帳(その2)
雑記帳(その3)
雑記帳(その4)

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日常雑記
雑記帳(その2)

 雑記帳についてついていろいろ思い出したこともあるので、もう少し書いておきたい。
 第2次大戦前の少年時代にどのようなノートを使っていたかは、ほとんど記憶がない。戦争がすべてを燃やし尽くしたため手許に残っておらず、記憶も薄れてしまったからだ。1945年7月15日に私のまちをおそった惨禍の前夜、翌日の空襲を予想して持ち出すために準備した背負鞄の中に、使うのが惜しくて残していたノートや鉛筆をしのばせた。そんなものを持たずに水筒と食料を持てと親にしかられ、あきらめた情景がかすかに思い出される。私にとって新品のノートや鉛筆は宝物に等しいものだったのだろう。

 戦後の義務教育時代や高等学校時代でも、さほど事情は変わらなかった。私が育った田舎町では、需要があまりなかったからだろうと思うが、文具は手に入らず、貴重品だった。下書用紙やメモ用紙などは新聞の折り込みの裏を使うことも多かった。葬儀を通知する折り込みチラシなどは紙質が比較的よくて、最高のメモ用紙になった。当時はまっさらな紙は「ザラ紙」と呼んでいたと記憶する。なぜ「ザラ」と呼ばれるのか。まっさらの意味だったのか、それとも粗悪で表面がザラザラしていたためか。確かに再生紙の質は最悪だった。紙の中に「活字片」を発見するのは当たり前のことだった。

 この「活字片」で思い出したことがある。数年前に関西のある古紙パルプ専門の製紙会社を見学した時の話である。再生紙の販路に話が及んだ。教科書に再生紙が使われていないと聞かされて驚いた。社長いわく、「再生紙利用にはPTA代表が反対するのだそうですよ。再生紙には古い活字片が混じって、「大」という字の右上にそれがあれば、子どもが「犬」と間違って読むこともある。せめて子どもにはヴァージンパルプでつくった紙を使わせたいのだそうです。」このPTA代表はおそらく私の同年代の人たちであろう。しかし、何という時代錯誤だろうか。現在の再生紙にはそんな古い活字片など登場することはないというのに。ごく最近、文部科学省が再生紙利用に転換したという小さな新聞記事を見たことがある。

 第三世界諸国に対する文具支援を呼びかけられたびに、私は戦後のこの文具に対する飢餓体験を思い出す。

 当時大学ノートと呼ばれていた、表紙に大学のマークが入った高級ノートなどは滅多に手に入らなかったし、私の場合は使うこともまれだったと思う。大学ノートに本格的に遭遇したは大学に入学してからのことである。左側のページに講義の内容を書きとり、左側に説明やコメントを書きなさいと、開講にあたってノートの作り方を教えてくるた教授もいた。当時の講義は、教授がその蘊蓄を傾けた講義案を一節づつ学生たちに書き取らせ、その内容を説明するという形態が主流であった。教科書を使ったり、毎年まったく変わらない内容で講義する教授たちは軽蔑された。メモ用紙に書き取った講義案をノートに整理するという体験は、まっさらなノートを使えるという喜びとともに、忘れがたい。著名な学者の講義が論文として発表されたり、著作集に収められたりしたのもこのような慣習のおかげである。学生たちは教授たち以上に優れた記録者であり、また速記者でもあった。

 私の学生時代のノートを紹介しておこう。卒業論文の下書きノートだが、本文を右のページに、注記を左のページに整理して、アルミニウムのペンを使ってへたくそな字だが、とにかく丁寧に書いている。いま見るとほほえましい限りである。

卒業論文

 自分自身が大学の教師になって、まずつきあったのは講義案をどのように作り、次の年度の講義のために残していくかという問題であった。大学ノートの時代は終わり、教授たちも講義案を読み上げるスタイルを止め始めていた。

 大学ノートの限界は、講義案作成よりもむしろ研究手法に現れた。大学院に進学してから研究のために使おうとすると、これが実に非効率的なことがよくわかった。コピーやマーカーやボールペン(すでに登場していたが使い物にならなかった)がなかった時代には、とにかくペンによる手書きでノートを取るしかなかった。資料を読むときも、大学ノートに要約する以外に方法がなかった。そうすると複数のサブテーマについてノートが必要になる。多数のノートを同時に使ってみたりもしたが、うまくいかなかった。研究の過程で生じる「むら気」や「移り気」に対応できないし、全体を俯瞰することもあまりうまくできなかった。読書ノートもノートを書くのに時間を取られ、たいていは挫折し、中断された。どのようなスタイルを作るかで、悪戦苦闘が始まった。このことについてはまた別の機会に書いてみたいと思う。

 そうは言いながら、私にとってノートを使うことはいまでも楽しみである。自分の感性と気分にあったノートはないかと探し求めている。外国を旅しているとき、文房具屋を発見すると飛び込んでノートを探すのもすっかり習慣になってしまった。革装ノートのような立派なものである必要はない、使いやすく、携帯に便利で、こだわりなく何でも書ける雰囲気のものをいまだに探し続けている。

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