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日常雑記

鉛筆よ永遠なれ -筆記用具(その2)-

 阪神タイガースの快進撃で私も俄ファンに変身し、大阪梅田の阪神百貨店タイガースグッズ売場に出かけみた。お目当ては鉛筆である。ところがである。ボールペン、シャープペンシルはあるが、鉛筆がない! 文房具店や生協文房具売場をのぞくと、鉛筆は確実に片隅に追いやられている。鉛筆は筆記用具としては消滅しつつあるのだろうか。

 このような世の状況とは反対に、それに抗うかのように、私の机の上ではボールペン、シャープペンシル、フェルトペンは消滅し、万年筆とともに鉛筆が主役である。その理由は、私のエコロジストとしての生き方にも関係がないわけではない。シャープペンシルもフェルトペンもプラスチック廃棄物をふやすが、鉛筆は環境に優しい。ボールペンは芯のインクが涸れるか、ボールの滑りが悪くなれば廃棄される。換え芯を使う人もいるが少数であろう。フェルトペンは最も悪い。ところが、鉛筆なら最後の最後までのころ2センチメートルになるまで使える。あの補助具を正確には何というのか忘れたが、短くなった鉛筆にはかせて使う。これを使って、とことんまで使い切る。

鉛筆よ永遠なれ ドイツ製の鉛筆が日本のと太さが違うことに、うかつにも私は気がつかなかった。鉛筆には国際規格はないようだ。10年ほど前にハンブルク大学に滞在した際にドイツ製鉛筆用の補助具を探したが発見できず、あちこちさがしまわってようやく以前に滞在したボン大学の本館近くの文具屋で自分で探しだした。驚いたことに従業員はこの文具についてまったく知識がなかったからだった。今では私の机の上の貴重品の一つである。最近台湾の鉛筆を手にしたが、これも日本製よりも細い。

 しかし、私の鉛筆に対する思い入れは何よりもまず、鉛筆こそが独創的な発想を促がすという点にある。シャープペンシルやボールペンでは柔軟で思考が継続的に生まれることはない。あの堅い芯は、私のように筆圧の高いものにはおれやすく、紙の上をなめらかに滑ってはくれない。かすれたボールペンほど書く意欲をそぐものはない。フェルトペンも同様だ。本に書き込みをするのも、鉛筆の方がはるかに心地よいし、あとで消すことも可能である。鉛筆を10本、それもBあるいは2Bの柔らかい芯のやつを鉛筆削りで削って机の上に揃える。これが仕事を始める際の私の儀式である。そうすると、これから仕事を始めることに身が引き締まる思いがする。シャープペンシルやボールペンではこうはいかないだろう。

 鉛筆にまつわる想い出やエピソードは数え切れない。シャーペンにもこれほどの豊かな想い出の連鎖は生まれるだろうか。小学校に入学してはじめて「肥後守」や「まきり」を使って不器用な手つきで鉛筆を削った想い出。教室での教師の最初の真剣な指導は刃物を使った鉛筆の削り方だった。刃物は自分だけでなく人を傷つけるものだということをまず教え込まれた。ちびた鉛筆の先をなめながら一生懸命に「原価計算」をしていた父の姿も思い出す。鉛筆を箱入りでプレゼントされたときの喜び。鉛筆はなぜダースで数えるのか、疑問に思ったものだ。

 中学生の頃、悪童たちと教室で遊んだスリリングなロケット遊びも思い出す。焼け跡で拾ったグラマンの機関砲の薬莢にセルロイドの下敷きを裁断して詰め込み、鉛筆で蓋をしてストーブの上に立てる。この飛翔は見事であった。教師のいない休み時間の危険な遊びであった。鉛筆のサックにセルロイドを詰めて口を潰して作ったロケットもよく飛んだ。先日同窓会で当時の悪童の一人にあった。彼のいうにはぼくが発案者で開発者だったという。君はあの頃から頭がよかったと、彼は言う。自分が発案したという記憶はまったくないのだが、戦時下にニュースでみたドイツのV2号にヒントを得たのかもしれない。

 それにしても鉛筆は美しい。外国の大学を訪問したとき、私は記念に鉛筆を買い求める。博物館グッズにも必ず鉛筆がある。書店の一角にある文具売り場にも時々奇抜なデザインのものを発見することがある。それらを発見し、買い求め、使うのは楽しい知的遊戯ともいえる。私の机の上を飾るそれらの鉛筆の数本を紹介しよう。ボンのベートーベン博物館で買い求めめたサインと楽譜をあしらったもの、ルーブル博物館の地下の店で買ったサンテグジュベリをモチーフにしたもの、台北故宮博物院の古代文字をモチーフにした鉛筆もある。どれもみな個性があり美しい。

 太古以来多くの哲人たちの思想を育む道具であった鉛筆が、これほどあっけなく消滅するはずがない。鉛筆よ永遠なれ!


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