きたにひと

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鉛筆よ永遠なれ -筆記用具(その2)-
萬年筆 -筆記用具(その1)-
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日常雑記
萬年筆 -筆記用具(その1)-

信楽の狸 仕事部屋に私自身の「守り神」として信楽の狸がまつられている。この年齢になると安全に生きたいとの願いが強くなるのはやむを得ないことなのだが、私が祈願するのは家族や友人、そして自身の安全だけではない。知的営みが無事に続けられることが最大の願いである。通常の置物の狸は徳利や通帳、杖を持っているのだが、私の狸は萬年筆を持ち、なにやら分厚い書物を抱えている。持っているのがボールペンや鉛筆では様にならない。やはりここは萬年筆でなければならない。そこで1967年にドイツ留学中に買い求めた愛用の太字用モンブランに登場願うことにした。

 1994年にゲームの理論によってノーベル経済学賞を受賞したJ.F.ナッシュの半生を描いたアメリカ映画『ビューティフル・マインド』に、萬年筆に関わって感動的なシーンがある。大学クラブで、ノーベル賞受賞者を同僚たちが自分の使用している萬年筆を贈って祝福し、敬意を表するのである。日常は鉛筆やボールペンを使っていても、萬年筆には特別の思い入れがあるらしい。知的営みのシンボルであることを象徴的に示した光景であった。

 太字の萬年筆は、毛筆への形を変えたあこがれではないだろうか。書家たちや達筆の人びとに対する畏敬の念は消えることはない。。紀州白浜にある南方熊楠記念館の展示物にあった彼の筆や矢立で記したメモを前にして、現代の知的手仕事の貧しさをつくづく痛感させられ。道中記私の家に、幕末の天保14年(1843年)に庄小源太という京町衆が書き記した道中記がある。道中記の中に野菜や魚が筆で生き生きと書き込まれ、細部にたるまで書き込む技量に感嘆する。思わず同じ京町衆であった若沖の野菜画を連想する。筆や矢立で書き連ねた記録やメモのほうが書き手の個性を鮮烈に伝えてくれる。

 このように表現できることを教えてくれていたら、私どもの世代の文化もいまとはまったく違ったものになっていたのではないか。習字の時間は書道の時間であった。手本通りに書くことを求められた。手本の通りに書けない私などは、へたくその典型であった。戦争が終わってから、私の字は個性的だとほめられることもあった。書道はいうならば精神修養の時間であった。墨で紙を汚すとか手を汚すことは、叱責の対象となった。筆を使ってノートを取る、日記を書くなど教えてはくれなかったのである。それが出来ていたらと、私はいまもその努力を怠ってきたことを悔やんでいる。

 ところで、私にとって萬年筆は筆記用具としてどのような経過をたどったのか。学生時代の私には萬年筆は普段に使えるようなものではなかった。高価すぎた。だいたいアルミニュームや鉄のペン先を文房具屋で買い、インク壺を持参してノートを取っていたと思う。ボールペンが使用され始めていたが、インクがにじんだり浮いたりし使用に耐えなかった。大学院に入った頃、萬年筆をようやく月賦で買った記憶がある。萬年筆で原稿を書く、萬年筆を胸のポケットにさしてあるく、これは少年時代からのあこがれの対象であった。

 その萬年筆が、実用性という点でボールペンにおくれを取り、あっという間に机の上の飾りになってしまった。ボールペンの書き味が格段に改善され、細字から太字まであって書き手の要望に十分に応える筆記用具になっていた。萬年筆では仕事のスピードに追いつけなかったのである。ところが筆圧の強い私はボールペンでノートを取りすぎて指を痛めたり、手首の激痛に悩まれるようになった。サインペンがそれにとってかわった。効率的知的労働が机の上を支配するようになった。

 いま私は筆記用具としての萬年筆にようやくこだわりはじめている。効率性が支配することの空虚さだけではない。また、ただの見栄やあこがれのせいでもない。筆記用具による物質消費と廃棄物はさほど巨大なものではない。しかし、割り箸を使わないことがエコロジストのシンボルであるとすれば、ボールペンもフェルトペンも同じではないか。萬年筆と鉛筆、これは私なりのシンボルである。


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